12.June.2021

フレットレス ベースの達人、Jaco Pastorius

筆者:Leila Abdul-Rauf

フレットレス エレクトリック ベースを発明したのは誰か?都市伝説によると、ジャズ ベースの達人、Jaco Pastoriusだとされている。その真偽はどうあれ、フレットレス ベースがまだ普及しておらず、普通に買うことのできなかった頃、これを広めたのは、間違いなく彼だ。Jacoは、1962年のFenderのジャズ ベースからフレットを取り外し、くぼみを埋め、指板にマリン エポキシをたっぷり塗り込んだ。マリン エポキシというのは、ボートの船体で使われている頑丈なニスだ。彼が愛情を込めて「ベース オブ ドゥーム」と呼んだこのベースの固い表面の滑らかさが、そのトレードマークである美しい「歌声」を生み出すことに役立った。

Jacoは演奏の前に鶏油に指をひたした。そうすることで、演奏にスムーズなタッチが加わると考えていたのだ。そしてジャズのベースを新たなレベルへと引き上げた。1970年まで、ベースは概してバックグラウンドの楽器であり、大半のジャズ ベーシストはアコースティック ベースやアップライト ベースを演奏していた。それに対して、Jacoはエレクトリック ベースを使った。言うまでもなく、フレットレスだ。彼は歌ったり、宙返りしたりしながら、主役の楽器として、ベースを素早く、力強く演奏した。裸足や上半身裸での演奏も珍しくなかった。

Jacoのベースからいつフレットが取り外されたのかは不明だが、Jacoはスーパーグループ、Weather Reportの1976年のアルバム『Black Market』でデビューし、次のアルバム『Heavy Weather』でバンドの単独ベーシストとしての地位を確かなものにした。このアルバムには、グラミー賞にノミネートされたヒット曲『Birdland』が収録されている。彼はしばしば人工ハーモニクスを使った。このテクニックは、フレット側の手で弦を軽くタッチし(ただし圧力は加えない)、もう一方の手で音色を奏で、音を出すのと、音を止めるのを、同時に行うものだ。それによって生まれる音は複雑で、まるでベルの音のようだ。『Birdland』の0:19のイントロ部分で、このテクニックの素晴らしい例を聴いてみてもらいたい。最初はベースだということさえわからないかもしれない。Pastoriusは、そのフレーズをネックでハイ アップに演奏し、ベースというよりもリード ギターのような音色を出しているのだ。

Jacoは練達の奏者であると同時に実験を恐れず、アフロ・キューバンのリズムや、R&Bとファンクの感性を自分のレパートリーに加えた。Pat Metheny、Herbie Hancock、Wayne Shorterなどのジャズの偉人から、Joni Mitchell、クラシック ロック バンドMott the HoopleのIan Hunterのようなメインストリームのアーティストまで、さまざまなミュージシャンとコラボレーションしている。Metallicaのベーシスト、Robert Trujilloも、尊敬するベーシストとしてJacoを挙げている。

Jaco Pastoriusは、バーでの喧嘩で負った怪我が原因で、35歳の若さで世を去った。彼が追求し続けていた音の深みは、もはや想像することしかできない。(※各リンクから外部の英語ウェブサイトに移動します。)

AUTHOR BIO: Leila Abdul-Rauf、カリフォルニア州オークランドを拠点とするマルチプレイヤー、作曲家。メタルバンドのVastumHammers of Misfortune、 エセリアル ポストパンク バンドTerebellumでギタリスト兼ボーカリストを務めている。また、自身の名義と、エレクトロニック トリオIonophore、シンセフォーク デュオFyrhtuで環境音楽の作曲・制作も行っている。各国でツアーも実施しており、余暇にはギターとボーカルの個人インストラクターをしている。

Jaco Pastorius with bass 1980」(著作者:Chris Hakkens)はCC-BY-2.0ライセンスのもとで使用を許可されています。

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